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2004.07.02

第10回 「中国人はアメリカ的」か?

中国人とある程度接したことのある日本人は「中国人は日本人と顔つきはよく似ているけれども、考え方はむしろアメリカ人に近い」という言い方をよくする。こうした見方は、どちらかというと中国に好意的な人に多いように思う。

だが本当にそうなのだろうか。

1970年代末頃だと思うが、北京に留学していた友人からこんな話を聞いたことがある。

当時はまだ中国には外国人留学生が少なく、中国人学生と外国人の留学生が、学内の宿舎の同じ部屋で暮らしながら勉強するケースがあった。その部屋で自分1人でパンを食べていたとする。そこにルームメイトが入ってきた時の対応が出身国によって違うという。

アメリカ人学生はルームメイトが部屋に入って来ても、そのまま平然と自分1人でパンを食べ続ける。日本人学生は入ってきたルームメイトに一応は「君も食べない?」と声をかけるが、それは形だけで、実は心の中では相手が遠慮するだろうと思っている。中国人学生はというと、相手の意向を聞くこともなく、パンを半分にちぎって相手がいくら断っても強引に押しつける--。

そういう点では中国人とアメリカ人は対極にあって、日本人はその中間なのではないか、というのがその友人の見方だった。

もちろんこの一件だけで判断するわけにはいかないが、なにがしかの傾向を示していると私も思う。個人的な経験からしても、中国人とアメリカ人が似ているという印象をあまり受けたことがない。中国人は日本人一般がアメリカ人に対して持っているイメージのような、ドライで、他人に関心を持たない人々ではないように思う。

そう思って、「中国人・アメリカ人相似論」の根拠を改めて人に確認してみると、「ものごとをハッキリ言う」とか「個人主義的だ」といった程度のあいまいな印象であることが多い。

「ものごとをハッキリ言う」などと言うのは、歴史や文化、社会背景の違う人々が日常的に触れ合っている世界の人々にとっては当たり前のことで、別に中国とアメリカに限った話ではない。むしろハッキリ言わないのが美徳と考えているのは日本人ぐらいのもので、残りの世界はみなハッキリ物事を言うのだと思っていたほうが間違いがない。

「個人主義的」のほうは何をもって「個人主義」というのか、その定義が明確でないが、「組織よりも個人の利益にしたがって行動する」という程度の意味ならば、確かに中国人とアメリカ人で似ている面がないではない。しかしこの点でも自立した個人と個人がキリスト教の信仰に基づいた契約観念で結びつく米国社会と、そうした共通の基盤を持たず、個人と個人が利害関係を軸に離合集散を繰り返す中国社会では、同じ「個人」といってもその観念は全然違う。

中国人が日本人と違うというだけで「アメリカ的」と短絡するのは、むしろ日本人は世界でも稀に見る特殊な民族だという過度の思い込みがあるせいではないか。日本人は特殊かもしれないが、そういうなら中国人も特殊だし、アメリカ人も特殊である。

何が違って何が同じなのか、じっくり考えてみる必要がある。

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